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ガーナとハヰカラと、時々、ぼく
Created
2022/03/15
Category
Acappella
Tags
Acappella
先日、ハヰカラ使節団のラストライブ『ハヰカラ博覧会』を終えました。
お越しいただいた方ありがとうございました。配信をご覧になった方にはご迷惑おかけしました。
1年間、ハヰカラ使節団として走ってきました。
数日前からパンフと映像の準備に追われ、当日も配信とチケットの引き継ぎをしてバタバタしてました。
なんとかsus4の裏でエンディング動画が完成し、すぐ最後のステージに立ったので、原稿を用意するどころか、何も考えないまま、一人一言に望んでしまいました。
何も言いたいことが言えなかったので、ここに書きます。
ガーナの後輩や同じ苦しみを持つアカペラーに伝われば幸いです。
僕にとってのハヰカラ使節団
僕は、ハヰカラ使節団として活動する中で、いくつかの「使命」を感じていました。
①ガーナの4年生同期としてハヰカラ使節団
まず、「4年目からサークル内でかつゴリゴリのメンバーで同期バンドを組む」というのは、難しいことは分かっていました。
後輩と組むキャパを1つ減らし、さらにサークルライブの枠も1つ減らすことになるので、生半可なスタンスで取り込むことができません。
これについては結成時から話していたので、みんなの共通認識であるし、だからこそただの洋楽バンドではなく「ハヰカラ使節団」になったのです。
②ガーナ所属のアカペラバンドとしてのハヰカラ使節団
そして、僕は「sus4」みたいな存在になりたかったのです。
僕らが1年目の頃、sus4は憧れの存在でした。
僕は、2次予選からずっと追いかけ、NEWCOMERS全国に出た後、CLUB CITTA’に立つsus4を客席から見上げました。
紛れもなく僕らのスターであり、アカペラ頑張ろうと思えたのはsus4のおかげです。
少し視野を広げれば、全国にたくさんのアカペラサークルがあります。
現実的なところ、人数が少なかったり、技能がなくアカスピに縁がないようなサークルだってあります。
僕らはたまたまGhannaGhannaに入り、sus4のような先輩方の後輩だから、「頑張れば大きな舞台に立てる」と思えている部分があるわけで、僕らも後輩に希望を与えられる存在になりたかったのです。
③ハヰカラ使節団としての僕
僕は自分のアカペラに自信がないです。
1年目の頃から、コーラス無理だってことに気づいて、頑張れば多分できるんだろうけど、4年間しかない学生アカペラを考えたときに、「僕にはコスパ悪い」と思ってしまいました。
なにせ、中学校の成績が音楽以外オール5で音楽が2と3を反復横とびしていたくらいなので。
パーカスに関しては、自分なりにこだわり持って頑張ってましたが、4年目からは下手がバレないようなパーカスを目指してました。
そんなこんなで、クソウマのみんなと組むことになって、最低限裏方を頑張ろうと思いました。
みんながストレスフリーにのびのび歌える環境づくりをしたいし、みんなの歌を1人でも多くの人に届けるTwitterの運用とか動画編集とか。

コロナ
僕らが4年目もコロナが猛威をふるい、本当に苦しい1年でした。
大学からの規制に振り回され、やるせないmtgを何度もしたし、出たくても出れなかったライブもたくさんあります。
たくさん考えていると、
GhannaGhanna所属じゃなかったらいいのかな
と考えてしまうのです。
誰かがガーナをやめてしまえばGhannaGhanna所属ではなくなり、ライブに出れるのです。
でも僕はGhannaGhanna所属であることを誇りに思いたい。
GhannaGhanna所属って顔に書いてステージに立ちたい。
でも、その事実が足かせになっている。
ダブルスタンダードで僕のアイデンティティは蝕まれていきました。
さらに、形式上の規制だけではありません。
遠征は感染を広げてしまうリスクが有るため、サークルにとって悪であるような空気。
これは、かなりひねくれているときの感情なのですが、
なんで、サークル員が旅行に行くことは許されるのに、サークルを背負って東京に行くことは後ろめたいんだろう
と考えたことさえあります。
喧嘩
2022年1月、新年早々ハヰカラ使節団は大喧嘩をしました。
しかも内容は、「ラストライブの日程」です。
元々ラストライブは、「大きい会場でやりたい」と話しており、僕の提案で「2部制でゲストをたくさん呼びたい」とも言っていました。
しかし、動き出しが遅く、第1希望のホールが年度内予約いっぱい。
会場候補と日程候補をイチから探すことになり、第2希望の会場の空きは、3月上旬と3月下旬でした。
ここで、
50fesに行くガーナの人や他大の人のことを考えると、前後は集客的に避けたい僕
と
50fesなんて知らないし、気持ちのいい日程でやりたい5人で意見がぶつかります。
ハヰカラ使節団は僕も思い入れのあるバンドなので、3月下旬の諸々落ち着いた時期にやりたい気持ちはありました。
しかし、50fesにはガーナから40人近くエントリーしていたらしく、僕は外部に出ようとする後輩を応援してあげたかったし、ちゃんと集客したら「このくらいの利益が出て、これまでの遠征費の幾らかはみんなにも戻ってくるよ」とも言っていたのですが、
エゴじゃない?
50fesなんか知らんわ
赤字でも良いから
と言われてしまいます。
完全に1対5のまま、言い争いは3日間続きました。本当に苦しかったです。
しかも、
東京遠征しんどかったけど、いい経験だったよね
JAMとアカスピ頑張ろうね
というmtの直後だったので、僕は何が何だか分からなくなりました。
日程を調整する案もありました。
僕ら6人が気持ちに余裕を持ってラストをやるためだけに、後輩がやってくれる追いコンを昼夜開催から朝昼開催にしてもらうよう圧力をかけることに対して、「何も違和感を感じない」と言うみんなもしんどかったです。
僕も口調が荒くなってしまったことは反省しています。
ただ、ライブをやるのはお金も時間もかかるし、腐ってもお客さんのアカペラーあってのラストなわけで、お金をとってライブをやる以上、ハヰカラ使節団としてライブやる以上、「俺らが楽しければええねん」ライブにしてしまいたくなかった。
今までみんなの歌をたくさんの人に見てもらえるように、「見る側の感情」を考えに考えて、Twitter動かして、動画作って、セトリも考えて、チケット転売してお金浮かして、みたいなことしてたのに、その辺が誰にも信じてもらえてなかったのが悔しかったのです。
ゲストバンドに参加可能日程を聞き、3月下旬だと集まらないことが判明し、最終的に上旬の3月7日開催になりました。つまり僕の希望になってしまったのです。
僕は今でも、バンドとしてこの選択は間違ってなかったと信じています。
ハヰカラ使節団は、当初の目的を達成するのであれば、最高の形で最期を迎えられたのではないかと信じています。
ただ、5人の希望をないがしろにする結果になってしまったことは、この先ずっと僕の心に重くのしかかるのです。
みんなが「楽しいラストだった」と言ってくれても、本心でどう思っているのか僕には知るすべがありません。3月下旬に開催していた世界線のラストライブも空想の中でしかないし。
逆に、素直にこだわりを捨てて、みんなの意見に乗っかって3月下旬に開催していたら、『ハヰカラ博覧会』の世界線も知らずに、「楽しかった」で終えられたのかなあ。こだわりなんかいらないのかなあとも考えるのです。
この苦しみは永遠に続く気がします。
バンドの選択は、バンドのためにか、個人のためにか
今、LINEを見返すと、僕は「バンドはこの選択をする方が幸せ」で主張しているのに対し、5人は「自分はこの選択をする方が幸せ」を軸に話している(少なくともそう見える)ことに気づきました。
僕は、「なんでこんなに身勝手なのか」と苦しかったし、5人からしたら僕は「なんで、多数決を無視して主張を押し続けるんだ」と思われていたと思います。
バンドの選択は、バンドのために、個人のために、どうあるべきか未だに分かりません。
サークル内の楽しかったらいいバンドであれば個人のためにあるべきだとは僕も思うんですが、ハヰカラ使節団は少し特殊なのでなんとも。
誰か教えてくれ。僕がずっと間違っていたらめちゃくちゃ謝ります。
『ハヰカラ博覧会』
「昼夜2部制」も「ハヰカラ博覧会」も僕の案です。配信もチケットもタイテも要項も僕が作りました。
会場との連絡やゲストとの連絡はちゃんはま、音響はしんしょーに一任していました。ありがとう。
ここで『ハヰカラ博覧会』のねらいを話させてください。
- コンセプトとのシナジー
「使節団」は「海外の文化を取り入れる」と言ったニュアンスがあり、せっかくならゲストたくさん呼んで「1年間日本中で出会ったアカペラを」にしたらスッキリするんじゃないかなと。
- インカレのけじめの場
関西4年目には、インカレバンドがいくつかあり、芭歌者、涼れ雲、Overflowにはハヰカラのメンバーが所属していました。
昨年秋から活動が止まってしまい、フェードアウトしてしまうところだったので、「最後の舞台」として出演したかった、してほしかったのです。
- 利益を上げる
僕自身お金がほしいとかじゃないんですが、みんなを東京遠征に巻き込んでしまったので、利益を上げてみんなに分配してハッピーにできれば、贖罪できるんじゃないかという目論見もありました。(実際は赤字でした😭)
- ガーナの人に外部のアカペラを見てもらう
どうしても、箱に足を運んだり遠征したりしにくい世の中です。
神戸でめちゃくちゃいいアカペラライブやって、ガーナのアカペラ頑張りたい子たちの視野を広る機会を作ってあげたかったのです。
- こっちに来い!
アカペライベントが関東に集中しているので、(企画・開催していただいているだけありがたいことです。お世話になりました。)「関東の人たちも1回くらい夜行バス乗れや」と思っています。嘘です。苦しみは1番わかっているので心苦しいです。
遠征なのにもかかわらず、ゲスト出演を承諾してくださった雲九と8Lawの皆さん、本当にありがとうございました😭
終演後
終演した後、すれ違うゲストの皆さんにペコペコしながら片付けをしていました。
配信卓から、荷物を抱えて控え室に戻ったとき、みんなは一目散にお金を集計していました。
ここでBADに入ってしまいました。
あんなに「赤字でも良い」と言っていたのに…
パンフの作成を理由に直前に投げてきたのに、一人一言丁寧に書いてくる余裕はあるんだ…
僕は何のために争いをして、何のために今日まで走ってきたのか分からなくなりました。
お家に帰るまでがラストライブなのですが、1年間の緊張の糸が切れてしまったようです。
気がつくと救急隊の方がワサワサいて、全てにめちゃくちゃ申し訳なくなりました。
せっかくのラストなのに、みんなを後味悪い気持ちにさせちゃったし、救急隊の皆さんもめちゃくちゃいらっしゃるし。というかみんな救急隊呼んでくれてありがとう。申し訳ない。
水分とってしばらく座っていたら落ち着いたので、みんなに荷物を持ってもらいながら自分の足で帰りました。
数日前から少しずつしか寝れておらず、その日、口に入れたのは買ってきてもらった水2口だけだったこともあり、過労だったみたいです。
最後に
一人一言でこれだけは言おうと思っていたのですが、うまく喋れず、そそくさと締めてしまい、言えてなかったことがありました。
やっぱり、今回の『ハヰカラ博覧会』はやりきったという気持ちよりも、悔しいという気持ちが大きいです。
コロナ禍で来場を自粛された方や、出演を辞退されたゲストの方もいらっしゃいますし、なによりベースのちゃんはま不在の中のラストライブでした。
たいせーさんとベーパやれて光栄だし、もりもり、おーが、ぴさろくん、えーちゃん、
晴れ晴れしきれないので、またどこかでハヰカラ使節団が皆さんの前に来航できればいいですし、なにかの形でライブできたらいいなあと。性懲りもなく思っています。性懲りないな。
それだけ執着深く取り組んできたし、それだけメンバーひとりひとりが好きなので、また歌いたいですね。