😔
Depression
鬱になったときに見たいもの
「僕が僕であるためのパラダイムシフト」から学ぶ鬱
パラダイスシフトとは?
パラダイムシフト(英: paradigm shift)とは、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをいう。パラダイムチェンジともいう。
- 子供はルールを探す。(何が褒められて何が褒められないのか)
暴力や暴言はルールを壊す
- 逆境を救うのは勉強。
静かで幸福な時間
汗が雑念をすべて流してくれる。そして冴えた頭でやる勉強はめちゃくちゃ楽しい
ただ前だけを見て汗を書いて机に向かえばすべてが関係なくなった。
俺は悟った。人は何にだってなれるんだということを。 親とか他人とか環境とか関係ないんだ。悩むヒマがあれば行動すればいい。壁があるなら乗り越えればいい
- 過去の自分のギャップ。
大好きだった歴史の本すら読めなくなった。中学のときの自分が今の自分を見たら悲しむだろう
大声で泣き叫びたいほど辛いのに涙は出ない
今週のスケジュールはこれで行こう
しかし頭に霧がかかっている&ろくに眠れないせいで何も達成されない日々が続いた
うつ病?それって精神障害?俺は違う
だって俺には歴史とかやりたいこともあるし、愛情はあったし。
だるくて寝込んでしまうときもあれば、極端に頑張ったり、その反動でまた寝込んだりの繰り返し
服を選ぶ時間は必要だろうか。もっと大事なことに時間を使うべきじゃないだろうか(中略)
思えば「楽しい」って最後に思ったのいつだろう→「ランニングと勉強をしていた中学生時代か…」
歴史の本を見たり歴史に関することを考えると心臓をナイフで切られるような苦しさが起こるようになっていた
何よりも大好きなことだったはずなのに
うつ病とは脳からやる気の物質である「セロトニン」等が上手く出なくなってしまう病気らしい
自分が鬱病だと認めたその日、ぼーっとしながらも衝動的に、僕は近所の公園で首を吊った
ある意味僕は今死んだのだから、何やってもいんじゃないだろうか
銀行強盗してもいいし、どっか外国へ行ってもいいし、もう何してもいいわけだ。好きにしよ
うつ病とは、「頑張り過ぎてこれ以上頑張れなくなった病気」という説明を本やネットで見た
医者は、ストレスで風船が膨らみすぎて、弾けて空気が抜けヘナヘナになった状態という説明をしていた
無自覚に頑張りすぎたということなのか。ホントの原因は何万回考えてもわからない
「もし鬱病じゃなければ」もう何万回考えたか分からない
好きな歴史に浸ったり、他にもあんなことこんなこと人生を人並みに楽しむんだ
そして「どうしてうつ病になってしまったのか?」
これも考えてもしょうがないけど何万回と考えている
要するに交通事故と同じことだ。人生のあるときに強いストレスか何かで精神的ダメージを負い、脳だか精神だかに障害が発生。うつ病になる
「タイムマシンであの時に戻れたら、何が何でもうつ病の発症を止める」
何万回と空想しても現実は鬱の人生。だってあまりに自分の人生が無念すぎて
たくさんの失敗を経験してルールが出来上がっていった。
ルールその2「鬱病と一緒に生きていく」
鬱病は憎い。けどどんなに消えてくれと願っても消えてくれないのだ。だから戦うのではなく…
鬱が来たら一緒に過ごすという感覚。
鬱が「頑張ったらなる病気」なら、対抗策は「怠ける」だ。
こんなふうに接していたら、一番マシで鬱は小さくなっていくのだ。鬱は消えることはないけど、限りなく小さくなれば、普通の人に近づけるかもしれない
行動認知療法とは?
例えば「メールを無視される」ということがあったとき、「忙しいんだな」と捉える人もいれば、「嫌われているのかな?」と思い悲しむ人もいる。
こういう「事実の受け取り方」を「認知」という
鬱病の人はこの「認知」が歪んでいる場合が多く、それを発見し、改善していく療法を「行動認知療法」という
いい天気なのに自分は何もしてない→死にたい
「マインドフルネス」とは?
「今ここ」に集中する練習のこと
呼吸の感覚に集中したり、見える景色に集中したりする。
雑念がわくのはOK。雑念からまた「今ここ」に戻すことで精神が鍛えられる
自分の世界が「不快」だらけであることを知った「そりゃ疲れるわ」
アドラー心理学
アドラー心理学は、「原因論」を完全否定し、「目的論」を前提とする。
不幸な人は自ら不幸であることを選んでいる
子供を叱ってはいけない、褒めてはいけない (「良いことをしたとき」だけ注目するのがダメ。ただ存在していることに注目し認めてほしいから)
人間の問題行動には5つの段階がある。(人間は存在を認めてほしい)
①称賛の欲求(けど認められない場合、褒められることで振り向いてもらおうとする)
②注意喚起(それすらも叶わなかったとき、褒められることをあきらめて目立とうとする)
③権力争い(それすらも叶わなければ、争いを挑む。勝利によって存在を認めさせようとする)
④復習(相手が嫌がることを繰り返す。せめて憎悪という感情で注目されたい)
⑤無能の証明(自分がいかに無能であるかありとあらゆる手段を使って証明しようとする)
「何も期待しないでくれ」「わたしに構わないでくれ」「私を見捨ててくれ」
無能の証明も目的が合ってやっている…?→「鬱病にも目的がある?」
もし鬱病を自分の意志でやってるとしたらさ、すごい俺バカみたいじゃない?
自分でやってて自分でしむほど苦しんでるってバカみたいじゃない?
「トラウマは存在しない」「過去は存在しない」
過去の原因にどのような意味を与えるかによって「今」を決定している。→1回過去を消してみよう(えいっ)
一旦「過去は存在しない」を飲みん混んでみよう
→鬱病の目的が「無能の証明」だとして、その相手は過去のトラウマだと認知している
→過去が存在しないのに、
→今、鬱病はなんの目的でまだ居るの?、誰に対して無能の証明をやってるの?
NLP
NLPとは…心理療法家3人の治療法を体系化したもの
NLPでは、脳と心にプログラムがあると考える
この脳と心のプログラムは、「地図」とか「信念」と呼ぶ。人は無意識にこのプログラムにしたがって生きている。
そしてこのプログラムは書き換えることが可能
俺の脳と心のプログラムに「鬱病」であることが組み込まれている。このプログラムを変えない限りはずっと鬱病なんだ。
おれは毎日毎秒「鬱である自分」のプログラムを実行し続けている。
じゃあ「どんな自分」にプログラムを書き換えるのか…。鬱になる前??
個々でまた疑問が生まれる。この「理想の俺」は今の「鬱病の俺」が考えた想像だ。
常に鬱であるための選択をし続けている俺が考えた「理想の俺」はやっぱりうつ病になるんじゃないのか?
この20年「鬱じゃない自分になりたい」と心底願ってるし、理想の自分だって追いかけてはいるつもりなんだ。
「理想の俺」がそもそも間違ってるんじゃないのか?だから鬱が未だに発生するんじゃないか?
不安
不眠は自律神経の乱れから。じゃあ自律神経の乱れは不安か…
不安を起こしているのはあなた本人なんです。鬱っていう選択をあなたがしているんです。
鬱病、不眠症、パニック障害、依存症、心の問題の原因はすべて「不安」
催眠を書けるのではなく、「催眠を解く」
鬱が起きる原因は「不安」 そして、「不安」が起きる理由は「自己虐待」
自己愛
「自分が大好き」という感情で全身を包み込む
愛ってすごく無条件のものなんだ。そしてちゃんと俺は愛を知っていた
心はすごいバカ
鬱が来るたび徹底的に「本心」と話し合うようにした。→支離滅裂???
人の心は「インナーチャイルド」。心って犬や猫くらいバカなんですよ。
犬に対して「言い聞かせ」ても犬はわからない。心に対して「言い聞かせ」ない。
評価してもいけません。ただ聞いてあげる。全部言わせてあげる最後まで。
自己虐待を見つけよう
マインドフルネスで不平不満の感情を見つける。
手汗ウザイなら手洗ってみよう。足冷たいなら靴下はいてみよ。
こういう噴上なことを放置してるのも自己虐待なのかも。20年くらい習慣になりすぎてて気づかなかった。
インナーチャイルド「コップ汚いのイヤだけど、どうせ行っても無駄だし言うのやめよ」→「言うこと聞いてもらえる!もっと言おう!」
選択肢を広げて自由度を上げる
服を買うときのルール(色など)=失敗しないという俺の中での人生教訓
そういうのも自己虐待かな?本心の声をちゃんと聞いて選んでいると言えるだろうか
これまでの思い込みを疑って選択肢を増やすんだ。こうやって心の自由度を上げることを繰り返していった
気持ちにはやさしく事実はごまかさない
事実「竜はいない」と、気持ち「竜がいて苦しい」を分ける。
「事実を気持ちを分ける」って部分すごい重要な気がする。
気持ちには全力で寄り添うけど、事実とは分けて考えないとダメなんだ。
小さな勇気の一歩
対人関係の中で本心を虐待しないといけない場面がある。
「場を乱さず平穏にやり過ごしたい」というのもまた本心だからだ。
鬱が消えてからよく気がつくのだ。 俺って何かを断るのがめちゃくちゃ苦手。サラリと断れる人もいるのに。
無理して食べたくないものを食えば、とりあえず今日は波乱もなく過ごせる。それも一つの選択
でも人生ってようするに、小さな勇気の積み重ね。
ちょっと一歩踏み出せば、もしかしたら前よりも快適な環境に変化するかもしれない
良い方向に変化しなかったとしても、本心を尊重したってことが大事
「断る勇気」
恐怖の克服
まずは優しくしてあげる。怖い怖いと言わせてあげる。
それからは「歴史怖い」という感情に寄り添った。それをどうこうしようとせずにただ寄り添った。
最初はただ好きで人より歴史の本を読んでただけだった。
結果人よりも歴史の知識がついて褒められて、
いつしか俺の中で歴史は「褒められるための道具」になり、
歴史に関して誰かよりも劣ったりすることがめちゃめちゃ怖いと思うようになっていた。
かっこ悪い自分を居るのは怖い。でも知ってしまえば怖くない
気が向いた時に「ただ歴史を楽しむだけの時間」を作るようにした。
ルールは「成長しよう」とか「誰かに知識を見せよう」とか思わないこと。
世界は自分で作る
天動説から地動説に変わるみたいに思い込みを全部変える(=パラダイムシフト)
過去ですら思い込み。起こったことは「事実」だし、それはそれなんだけど
「過去」が「今」に影響を与えることなんてない
「今」の苦しみは「今」自分が起こしている。
その材料に「過去」を今の自分が使っているだけ。
さらには「未来」も同じで「未来」が「今」を決定するなんてこともふつーに考えてありえないはずなのに。 なんでか俺は長いこと「過去」や「未来」のために生きていた
例えば、「偉大な人になるために生きるべき」みたいな。 一見夢があって良さそうだけど、「今」は「今」のためにあるんであって、「未来」のために「今」を使ったらだめだ。 「今」どれだけ素晴らしくできるかって話なんだ。