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ガーナとハヰカラと、時々、ぼく
Created
2022/07/28
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みなさん、「PLUS Unison.」さんからハヰカラ使節団の動画観ました?
ああ、皆さん観てますよね。失敬失敬。
どうも。GhannaGhanna5年目たかやんです。
いわゆるアカペラ4年目を卒業して、かれこれ3ヶ月。はやいなあ。
個人としては、
- プラユニの動画が投稿されて
- ハヰカラ博覧会の動画をアップロードして
とあれやこれや一区切りしたと(勝手に)思っています。
そしてあと一つ。「ブログ」を書いて区切りをつけたいなと。
3月9日のハヰカラ博覧会の「ひとりひとこと」では、二徹の余裕の無さでなんにも言葉が出てこなくて言えなくて、卒業までにどうにか文字にしようと書いていました。
でも、間に合わないしまとまらないしで、投稿できてなかったので。
長く拙い文章になると思いますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
ハヰカラの1年間
僕視点でかる~く振り返らせてください。
本題じゃないので、すっ飛ばしてくれていいです。
3月
ハヰカラ使節団は、3月末に結成しました。
しんしょーやややが発起人となってメンバーが集まり、しゅんてぃが天才的なバンドコンセプトを思いついてくれました。
バンド名「どろぼうダッシュマン」とか「アレクサ四郎」とか楽しかったな
このメンバーでやる以上、「ガーナ」の顔になれるように外向けにも頑張りたいねとみんなで意気込んでいました。
そんな中、出鼻をくじかれるように、4月下旬から9月頭まで、大学からの規制により全員での活動ができなくなってしまいました。
6月
その間呼んでいただいたライブに出れなかったり、何度もコロナがなければしなくて良いようなやるせないミーティングをして、その中で作ったのが、MotownFillie。
いやーたくさんのひとに見てもらえて嬉しかったなあ。900いいね。
今見ると拙い編集だし、みんな撮影慣れてないなあと思うけど、気合だけはこもってるなと感じる作品です。
そして、コロナがなければこの作品も無かったのも事実。
グリーンバックを使っているのは、「集まらずに」「合法的に」撮影できるからです。
グリーンバックは、サークル所属バンドの知恵と悪あがきなんです。
9月
8月末から練習を再開させ、すぐアカスピ2次。
その後、遊びでTHE FOXを撮りました。しゅんてぃ発案だったけな。
思ったよりウケ良くて嬉しかったです。
ちなみに僕は、このあと腐ったベーコンを食べて死んでました。
10月
初旬には、Gold symphonyに出演させていただきました。クソデカamHALL楽しかったな。
そしてそして、ちゃんはまが書いてくれた新曲「BTS Medley」を仕込んで望んだ関西最終。
直前の練習はめちゃくちゃ詰めてめちゃくちゃ楽しくてめちゃくちゃ気持ちよかった記憶があります。
結果は優勝できず、ちょっと手応えがあっただけに悔しくて、そのまま渋アカへの夜行バスに乗りました。
その2週間後は、ユニツキ!
写真が良いなああ。りょーたさんありがとうございました!
11月
関西最終に負けてから悔しくて、4年生全国に向けて2つ映像を作りました。
このあたりは、本当に「執念」でした。
「Artpop」は、なんやかんや3回くらいレコしたし
映像はこだわりが邪魔して投稿予定に予定に毎度間に合わず…
たくさんしんしょーに迷惑かけましたスマン…。神MIXありがとう。
そして臨んだ4年全国EX。優勝できました。
めちゃくちゃ後述するのでここでは省きますが、正直全然優勝できる気がしてなかったです。
夜行バスで神戸に帰ったと思えば、ほぼそのままJAM2次。
忙しスケジュールにしてしもうてみんなごめんなあ。
12月
ソラマチにぬるっとでて、次の週はWLに出演しました。
みんな委員もやってる中お疲れ様でした。
あと、JAM本選も出場決定させて嬉しかったです。
このあたりは、「コロナも落ち着いてきたし、来年は頑張るぞー」という気持ちでした。
JAMの本戦通過、普通に嬉しかったのもあるんですけど、「審査員大会でちゃんと通った」で「イロモノなだけちゃうぞ」と自分の中で胸張れたのが嬉しかったです。
JAMのスタッフのみなさん審査員のみなさんありがとうございました。
1月
JAM、アカスピ、ラスライの準備をしていました。
折角の機会をいただいたのですが、コロナの情勢が急変し辞退となってしまいました。
出たかった
2月
月末のアカスピ全国決勝、3月のラストライブに向けて準備したいものの、また活動できない期間になってしまいました。
んでなんとか間に合わせたアカスピ全国決勝のクラブチッタの舞台、めちゃくちゃ楽しかったです。
舞台裏・舞台袖の高揚感すごかったなあ。もう一度映像見たいな〜
そういえば、しゅんてぃが採譜してくれた「MJ Medley」をここで初披露しました。
アカスピとラストでしか歌って無くて、全員で歌えた動画がないのが寂しいです。
もっとMJ歌いたいな〜。
僕以外みんな社会人で出れるかわからんけどライブ呼んでください。
3月
ドタバタで、ラストの準備をして、3月7日ラストライブを迎えました。(これおm詳しくは後述)
また、プラユニに出演させていただくこととなり、みんな連日のようにラストライブを開催する中、怒涛のレコ・撮影を行いました。
いかがだったでしょうか。
怒涛の半年でした。お疲れさまでした。
コロナとハイカラ
ハヰカラ使節団が「ガーナガーナでありたい」
僕は、ハヰカラ使節団は「ガーナ所属であること」に大きな意味があると思っていました。今もそう思ってます。
こんなメンバーが1つのサークルに集まって、オモロイことできてて、みんなに知ってもらえて。
その上で自分のいる好きな「ガーナ」を知ってもらえて。
もちろん他のバンドも好きだし頑張ってたけど、僕個人、ハヰカラにはすこし違った思い入れがあって。
特にハヰカラ使節団を頑張りたいと思っていたのは、僕たちが1年生の頃に「sus4」がいたってのがあります。
「アカペラを頑張るゾ!」と思っていた1年生の頃に、サークルの先輩にsus4がいて、懐かしのNEWCOMERS全国大会後にクラブチッタで歌う姿を見て、
ガーナってスゴイんだなあ
とぼんやりと思ってました。
でもそれだけじゃなくて、どこか心の奥底で
ガーナでアカペラ頑張るのめちゃくちゃいいな
ぼくも頑張ればあんな大きなステージに立てるかもしれないな
なんて思えていたわけで、それが原動力になっていたわけだなと思うのです。
結果だけじゃないけど、そんな背中を見せられる先輩バンドに、22期23期24期たちに同じような可能性を与えられる存在になりたかったのです。
ハヰカラ使節団が「ガーナガーナであること」
僕らが4年目もコロナが猛威をふるい、本当に苦しい1年でした。
大学からの規制に振り回され、やるせないmtgを何度もしたし、出たくても出れなかったライブもありました。
そして何度も、
ガーナ所属じゃなかったらいいのかな
と考えてしまうのです。
インカレバンドは練習ができるのに、ガーナ所属バンドだから集まることすらできない。
みんな活動できないならまだしも、他大学生がいるバンドだけ活動できない。
ガーナ所属バンドって何?
じゃあ、1人サークルをやめればいいのか?
ってミーティングめちゃくちゃしました。特に前期。
「ハヰカラ使節団がガーナガーナ所属であること」という「誇りたい事実」が「足かせ」になっているのが嫌だったけど、僕はTwitterの「神戸大学GhannaGhanna4年生同期バンド」という文字を書いたり消したりして気を紛らすことしかできませんでした。
もちろん大学の看板がある以上、規制があるのは仕方ないです。コロナは怖いし。
でも、4年目前期の規制は理解し難しかったし、ジゲキの1年3ヶ月活動停止の件が見せしめのようにずっとチラついて、何をするにしても僕らが「ガーナガーナ」と名乗ることが、何故か不名誉で罪であるかのように感じてとってもストレスでした!ごめんなさいしろ!神戸大学!コラ!
ハヰカラと東京遠征
ありがたいことに、秋からは「渋アカ」「ユニツキ」「4年生EX」「ソラマチ」とたくさんの遠征の機会をいただきました。
でも、楽しいだけじゃないのが現実でした。
どうしても、東京のライブに行くのは、金銭的・時間的・肉体的に負担です。僕はヤコバ好きなので全然いいんですけど。
観客投票制のEXは、めちゃくちゃアウェイで、唯一の希望の配信ですら実地の1/3換算で、希望が見えてきませんでした。
チケットノルマは、ほぼ実質的に15000円/バンド。
これを抑えるために、対面チケット争奪戦にチャレンジして、買えなかった関東の友達に買い取ってもらって、取り置きを稼ぐ小汚い作戦までしました。
"負け惜しみにならない立場"になれたからこそ、勇気出して書いてみます。
イベントが成り立つためには当たり前のことだし、参加させてもらってる側だから何も言えないけど、
- すべて関東開催
- 完全観客投票制
- 一律チケットノルマ
- 配信票はの1/3換算
これらが変わらない限り、関西含む地方の後輩たちがずっとこの希望の見えなさを味わっていくのかなあとやるせない気持ちになります。
ハヰカラのみんなが上手だったのもあると思うけど、観客投票制に向けてコンセプトやSNSの「アカペラ以外の部分」に力いれざるを得ない面もあっただけに、完全観客投票制がなければ、もっと純粋にアカペラできたのになあとも思います。
その上で、
小手先じゃなくてアカペラ楽しめよ
生アカペラが正義
と言われましても悔しい気持ちしかないです
ずっと不安な4年生全国
4年生全国は、ずっと不安でした。
昼の望月がジャズバラで惜しくも2位で駄目で、「望月でも東京で勝てないのか」という気持ちが拭えないままハヰカラのステージに立って、手応えのないまま雨の中コメダ珈琲に逃げ込んで、「どうせ優勝して会場に戻ることもないから」と910円のクソデカみそカツパンをオーダーしてたくらい東京のステージに自信がなくて。

是が非でも欲しかった結果
ハヰカラやPANDEMIXの外部イベントは、ほぼ全部僕が言い出しっぺです。
JAMに至っては話題すらならず、僕が必死に「アカスピと同じの全国大会だよ!」「大阪で2次予選してくれるよ!」「エントリー費安いよ!」ってことをプレゼンして、なんとか応募に踏み切りました。
JAM本選は辞退となってしまいました。申し訳ないです出たかった。
みんな単位、卒論、他バンド、ウィンターの運営でしんどい中、たくさん遠征してくれました。
その中での
バスきつい
東京しんどい
を聞くたび、胸がキュッとなってました。
「今日寒いね」位の感覚で発してるのだろうけど、言い出しっぺを独り占めしちゃった僕からすると、その言葉を耳にするたび、
「出そう」って言ってごめんなああああ
これで結果でなかったらどうしよう
みんながやりたかった大学4年目はこれでよかったのか
と、すごい不安になるし、秋の3ヶ月間勝手な責任感で押しつぶされてました。
だから、自分を納得させるためにも、是が非でも「目に見える結果」がほしかったのです。
ハヰカラ博覧会と僕
ハヰカラのラストライブ「ハヰカラ博覧会」は、僕にとっては長く険しい道のりでした。
ライブを作る中でメンバーとぶつかってしまったし、最終的には直前でベースのちゃんはまが体調不良で欠席の中ラストを迎えてしまいました。
ライブ直前で、パンフも映像も代わりにやることになってしまい、ゲスト辞退でタイテ変更、当日の配信は途中で接続不良。
エンディング映像も昼休憩で作って、sus4の裏で書き出ししてみたいな状態でドタバタでした。
配信トラブルすみませんでした。
返金作業も遅くなってしまい申し訳ありません。
SIGNALのたくとくんのおかげで、途中から配信を続けることができました。
前日の深夜にDMして、念の為で配信セットを持ってきてくれたおかげです。
本当によろず屋じゃん。ありがとう。
そして今回、ガーナのライブ映像班の力で映像化できました。
いっしー、えーちゃん、ルナ、くらり、ありがとう!
雲九ウマすぎ
「ハヰカラ博覧会」がやりたかった
「ハヰカラ博覧会」のコンセプトは「万博」。
「使節団」であるため、遠征先で出会ったもの(バンド)を神戸に持ち帰って、みんなに観てもらうといったテーマにしていました。
「バンドをたくさん呼びたい」というのも、「博覧会」というネーミングも僕の案でありワガママです。
1. 関西インカレのラストステージ
関西の同期インカレ3つに、それぞれハヰカラのメンバーがいました。
ラストライブをする予定もなく、それぞれが自然消滅していくのが悲しくて、どうにか立てる舞台を用意したかったのです。
2. 関西で大きなライブをやりたい
たくさん東京に遠征した経験から、関西で大きなライブをやりたいと思っていました。
コロナ禍で関西のイベントが軒並みなくなってしまって、後輩たちが「箱ライブに行って感動する」という経験をしないまま高学年になってしまうのが惜しかったのです。
3. 「博覧会」
区切りをつけるのは大事だし、終わりがあるから美しいのですが、僕は気持ち的に終わらせたくなくて。
「博覧会」なら、また何年後か何十年後か分からないけど、第2弾が開かれるかもと思ってネーミングしました。
4. 「今度はお前らがこっち来い!」
あとは、いつも夜行バスにも乗らず、早朝から上野のサウナにも行かずにのうのうとアカペラをしている東京のアカペラーさんに
今度はお前らがこっち来い!汗ベタベタで来い!
という気持ちが全体の23割を占めています。
嘘です!(ゲストのみなさん遠いところからわざわざありがとうございました!)
分からない
ここまで、あたかも自分がいいヤツのように話してきましたが、ハヰカラ博覧会をするにあたって些細なことでメンバーと衝突してしまいました。
バンドの意思決定は、「個人」と「バンド」の幸せを追求する大事なもの
僕は「ハヰカラ使節団」の当初からの目的を果たすべく、できるだけ精力的にやりたくて、「ハヰカラ博覧会」のような形を提案しました。
さらに、お金を取ってライブをやる以上、できる限り集客できるように考えたいし、結局困ったときに集客するのは僕だし。
でも、「無理に規模を大きくせず、集客も狙わず、みんな楽しく歌えて終われたら良い」という個人もいて、それを無碍にすることもできなくて。
少なくとも、僕はバンドメンバーとしてみんなひとりひとりのアカペラ人生が幸福であって欲しいし、バンドの一つ一つの決定は、バンドの人生も6人の人生を左右するものだと思ってるから、ノリでやりたくないのです。
未だに、バンドの選択は、バンドのために個人のために、どうあるべきか未だに分かりません。
ただ1つ言えることは、親しい仲だからこそ「自分はどうしたいのか」「バンドをどうさせたいのか」について、しっかりコミュニケーションを取るのが大事なのかなと思います。
たくさん飲みに行きましょう。それしかないです。